9月の第3月曜日は敬老の日。いつもは見過ごしていた、にっこり笑顔の小物に目がとまった。冷蔵庫に磁石で張り付いていた“おじい人形”。ウズベキスタンに行ったとき、地元の人からもらったもの。民族衣装を着て帽子を被った、彼の地のアイコンのような焼き物。お土産としても人気だ。その笑みや仕草にほっこりする。
どうして“おばあ”じゃなくて、“おじい”なのかな。それはさておき、ウズベキスタンには年長者を敬う文化があるという。そして、よその人をもてなすという習慣もあるらしい。すべての人がそうだとは言えないにしても、年を重ねた穏やかな笑顔が魅力的だったことを思い出す。お土産の人形も、一目見てなんだか愉しいし、まるでミニミニ親善大使みたいだ。
訪れたサマルカンドでは、年配の人たちが広場のベンチなどに腰掛けて、ゆったりとした時を過ごしていた。いくつもの物語がありそうな人、何やら知恵を授けてくれるのではという面持ちの人。幾人か、深みのあるまなざしに惹かれて、シャッターを押した。
国連の報告によると、2050年、世界の6人に一人が高齢者となっているという。一人ひとりが尊厳を保ちながら、それなりにハッピーに生きることができるような社会であってほしい。
ウズベキスタンを訪れたのは2001年と2002年(もう20年をとうに過ぎた…)。ソ連崩壊にともない、国として独立してから、ちょうど10年の頃だった。独立前は、教科書の言葉はロシア語、歴史もソ連のもの。それが独立後は、国語は人口の8割強を占めるウズベク民族のウズベク語となり、それまで抑圧されていた伝統のイスラーム信仰や文化も見直されてきていた。
サマルカンドで出会った学生たちは、さまざまなルーツの人たちだった。タジク系(タジク人)もいたしロシア系(ロシア人)もいた。さらに、そのほかの民族も暮らす。まさに多民族国家。言葉はタジグ語も理解するというし、学校の授業にはロシア語はあるし、英語も日本語も流暢な若者たちもいて、バイリンガルどころかマルチリンガル。古今東西、人々が行き来したシルクロードの地を物語るかのよう。道ゆく人の顔つきも、「あら、日本の近所のおじさんみたい」な人も。
「将来は国のために役に立ちたい」。小中学生たちから学生まで、話を聞くと、そう答える子たちが少なくなかった。本心なのか、そう教えられているのか。日本ではほとんど耳にしない言葉の響き。何にしても、自分たちの国を作っていくという若い輝き。それがまぶしく、うらやましくも感じられた。
文化が交差する地サマルカンド。青の都と呼ばれるように、世界遺産に登録された建築の数々とその色が目に焼きついている。そして、内部に広がる宇宙的な空間。平面のビジュアルではわからないような体感がいまだ残る。
華々しい建物とは別に、地元の人の案内で、小さい寺院に立ち寄った。うろ覚えだが、外観は取り立てて目立つこともなかった。ひっそりした内部に、強い光が差し込む、その部屋の隅に年長者が腰かけていた。どこか宗教者らしき面持ち。通訳の人が、他国からの人たちという。するとその老師は、わたしたちに厳かな回廊を回るようにと言い、それから旅の安全を祈ってくれた。
おじい人形を見ながら、旅先のことまでが蘇ってきた。おじい人形も「なかなかやるなあ」。そして、ちょっとした人との交流が、その国の印象に味付けしていることに、あらためて気づいた。