アイスランドの大地〜立春の回想

暦の上では立春を迎えた。その翌日に、関東にも降り始めた本格的な雪。吹雪く空を仰いで、冷気が肺にしみいると、10数年前におとずれたアイスランドを思い出した。

雪にふちどられた灰色の、切り立った岩山がきわだつ北西部の町イーサフィヨルズル。海辺には氷雪が広がっていた。訪れた4月、顔にあたる風は冷たく、時に小雪が舞い、まさに体に感じる季節は真冬そのもの。まるで日本の2月に思えた。

ところが、訪れた小学校では、めぐる季節を祝っていた。ひとつの教室に入ると、埋め尽くされるかのように揺れていた小さな旗。青地に白と赤の十字の旗、旗、旗。生徒たちが手にした小さな国旗を振って、先生と何やら声をあげる。翌日が「夏の始まりの休日」だから祝っているというのだった。

まだ4月の半ばすぎ、まだ雪も降るというのに、「夏」の始まり?
春の訪れは渡り鳥とともにやってくるという。待ちわびた春は短く、数週間で始まる「夏」。古の暦に由来する季節なのだそう。冬は雪と氷に閉ざされ、夜は長く日照時間が少ない。鬱になるという人もいたから、冬が明ける喜びと、活力みちる白夜の夏に向けて、心湧き立つのかもしれない。

それから、首都レイキャヴィークから南東に60キロほどのセルフォスへ行った。雪はなく、川沿いの町は枯れ色に包まれていた。学校に協力してもらって写真のワークショップを終えると、女性の先生が、町を案内してくれると声をかけてくれた。

放課後、先生の子どもたちも一緒に、さあ、行きましょう、という時に先生がわたしに言った。「なんとなく暗いわね」。わたしのことだった。出会ったばかりで、そう言われることではない。思わずしかめ面したのか、先生は言い直した。「悲しそうに見える」。

自分が気づいていなかっただけのかもしれない。わたしは数ヶ月前に父親が急逝したことを話した。けれど、そういうあなたの子どもたちだって… そう思った言葉は飲み込んで。先生は少し前に離婚したばかり。自分から決めたの、と淡々と話していた。けれども、小学生の子どもたちの表情にはなんとなく翳りがあった。いきさつはともあれ、多感な時期に影響がないわけはない。そのせいなのか、わたしはどことなく子どもたちに響きあうものを感じた。そして、ここの、この季節の、灰色の空、冷たい空気、すべてがよかった。

住宅街からちょっと車を走らせると、もう、丘や野が広がっていた。ゴーゴーと音を立てて雪解け水を運ぶ川の河原に降りると、いくつもの奇妙に丸く穴が空いた岩があった。川の水が削り出した造形だという。ところどころ湯けむりが立ち上がっている丘にも立ち寄る。近づくと、冬枯れ色の谷間から、ボコボコと湯が噴いて流れ出している。先生の子どもたちが駆けまわっては湯の口をのぞいた。

それから、岩山のある平原に行った。大きな岩にはくぼみがあって、謎めいた空間ができていた。誰かが来て火を焚いたあとも。子どもたちは岩からジャンプしたり、枯れ草ふかふかに大の字になったり、大地を駆けめぐったり。あまりに楽しそうなので、カメラを手にわたしもあとを追った。まるで、自然と戯れる妖精たちと一緒に過ごしたかのようだった。春先の日は短く、帰り途、すぐに野山は闇に沈んだ。けれども、大地の息吹につつまれたかのような余韻が残った。それはかすかな春の訪れを感じたような安らぎのようでもあった。

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