グレーゾーンの記憶〜 80年代、西新宿都市風景

 古い写真を整理していたら、80年代のモノクロプリントが出てきた。西新宿界隈のもの。初めてカメラを買い、写真を始めたばかりのころのスナップ。

 いまの都庁のあたりは、当時はまだ空き地で、風通しのいい空間があった。ジャズの路上ライブ、少年野球に盆踊り… ビルを背景に、楽器のリズムや、打球の音、お囃子が響いていた。青空にスコーンと抜ける飛球、高層ビルの光に反響するお囃子が、いまとなっては幻のよう……

 写真を見ていたら、当時のことが蘇ってきた。そして、ちょっと怪奇なことがあったことも。暑い夏のお盆の季節… 想い起こしてみると、写真には写らなかったグレーの記憶が断片的に浮かんでくる。短い間だったけれど、当時住んでいたのは、高層ビル群にほど近い青梅街道沿い裏手だった。

 ドン、ドン、ドン、ドン…… ある日、アパートのドアが激しく叩かれる音がした。なにごとかと玄関に近づくと、隣の◯◯です、と、女性のか細い声。ドアを開ける。すると、目の前に人の姿はない。なんと、その人は地に這いつくばっていた。そして、声を絞り出した。「た、す、け、て…」

もう一つは、アパートを去る引越しの前夜のこと。荷物を段ボールに詰める作業に追われ、一息つくころはもう明け方近かった。仮眠くらいでもしておこうと寝入って間もなく。ドゥオーンッ! 突然の爆音と地響き。深い眠りに落ちていたところに、体も激しく揺さぶられた。
 大地震? 何事か。寝ぼけ眼で、あたりを確認する。何段にも積んであった引越しの段ボールは変わりなく、崩れてもいない。玄関ドアを開けてみると、あたりはしんとしている。いまのはなんだったのだろう? 夢じゃない。けれど、わけがわからない。見た限りでは何も異常なかったので、そのまま再び寝入った。

 ドン、ドン、ドン、ドン。日が昇ると、誰かがドアを叩く。開けると、そこにはおまわりさんが… そして、屋根の上で人が亡くなっているという……

 這って助けを求めてきた女性の件は、大家さんにも連絡して、すぐに救急車で病院へ。過呼吸症候群という病名で、幸いなことに症状は一時的なものだったようだ。

 けれども、引越し前夜のは、一つの事件だった。大家さんが対応してくれたので、くわしいことはわからない。深く知らない方がいい、という配慮でもあった。けれど、表通りの高いビルから落とされたとか云々。まさかの引越し前夜に。ただ、大家さんは言った。「ちょうど観音様の上におちた」。浅草寺で得度した大家さん。アパート自体、部屋数は少ないながら、建物名として仏教関連のことばが表札に記され、一階部分は観音様が祀られた大広間になっていた。

 いまはもう、そのアパートはない。とっくの昔に再開発され、あたりの建物もろともすべて高層ビルに様変わりしている。

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