11月20日は国連による「世界こどもの日(World Children’s Day)」だそう。さまざまな国がこの日を「こどもの日」に定めているが、多くの国ではそれぞれ別の日にちを「こどもの日」にしている。
日本は5月5日。そして、トルコは4月23日、インドネシア7月23日、スイス9月20日、ブラジル10月12日、インド11月14日……
また、「子どもの福祉世界会議」によって制定された「国際こどもの日(International Children’s Day)」は6月1日。世界の約2割程度の国や地域がこの日を「こどもの日」としているという。
これまで訪れた地では、いつでもどこでも、子どもたちの輝きに心ときめかされてきた。「世界こどもの日」にちなんで、いくつか場面を思い出してピックアップ。
たとえば、2000年、紛争直後の東ティモール。重いバケツの水を頭に乗せて運ぶ女の子。その生きる姿に、なんだかハッとさせられた。自分はいまどう生きているかと…
そして、きらきら目を向けてくる子どもたち。彼らの喜びに同調するかのようにシャッターを押した…
その2000年の東ティモールでは、地方の農村の道なりに、たまたま女の子に出会った。素足でぽつんと、手作りのギターを手に歌っていた。
それから、90年代、ペルーアマゾンの奥地の村で、やっぱりたまたま出会った女の子。素足で、切り株の上にのぼって愉しそうに声をあげていた…
思いっきりの顔つきでレンズに挑んできたのはモザンビークの少年。はじけるような笑顔とは、まさにこんな感じか…
見つめられると、まるで吸い込まれそうになった瞳の主は、ペルーアマゾンの森の奥地、アチュアル族の村の童。まるで、森の精霊じゃないかと思ってしまうくらいだった…
カメラを向けると、わいわい声をあげて集まってきた少年たち。けれど、場所はケニアのダダーブ難民キャンプ。ここで生まれ育った子どもたちにとっては、難民キャンプという非日常のようなところが日常なのだ…
キリッとしたまなざしを向けてきたのは、ブラジル中央部アラグアイ川沿いに暮らすカラジャ族の女の子。小さいながら、どこか堂々として、風格すらある。写し手が問われるかのような視線に向きあいながら、シャッターを押した。
いま、戦火まっただ中にある子どもたちもいる。それぞれの社会に家庭に押しつぶされそうな気持ちになっている子どもたちもいるだろう。ひとり一人、それぞれがそれぞれとそれぞれを、大切にできるような世界であってほしい。