真っ赤なブチブチとした球体が連なって、なにやら漂っている。その一つがひときわ大きく突き出でているのが、まるで巨大なタコのようにも見える。リオのセントロ地区、石造りの歴史ある建物を前に、派手に浮き出ているから大目立ちだ。
近づいてみると、それは大小いろいろな風船のつながりで、その下には奇妙な集団がうごめいていた。カトリックのシスターのような修道服とベールに身を包んだ人、手のひらサイズのおもちゃラッパを吹きならす白塗りの男、フラメンコ・ダンサーのような艶やかな女。なんとも風変わりな一行だ。カーニバルの時期でもないのに。由緒ある国立図書館や市立劇場などが並ぶ重みのある街角が、まるで舞台のように一変しているのだった。
見ると、何人かの鼻に赤い玉が付いている。その一人が、身ぶり手ぶりでわたしにおしゃべりを仕かけてきた。と思いきや、すぐにプイとして、通りすがりの次の人へと、ちょっかいを出していく。居合わせた人に聞くと、ピエロの国際会議だという。なるほど、あたりには、逆立ちをしている人、路面に寝っ転がる人、それぞれが勝手な動きとポーズをしている。それがちょっとしたカオスを生んで、また目を引くのだった。
なかにはプラカードを掲げた人も。その一つには「HUMUS, HUMOR, HUMANIDADE」の文字。「土壌」「人間」「ユーモア」という言葉には、結びつきがある、というアピールらしい。
*後日、これらの言葉を調べてみると、ちょっと奥深いものに行き当たった。それについては、
このブログのつづき「ピエロがつむぐ“ユーモア”と“人間”その2〜AIと学ぶ人と大地のつながり」へ
その後、用事を済ませてそのまま、リオのセントロへと足を伸ばした。そして、歴史あるチラデンチス宮殿に近づくと、なんだか騒がしい。すると、また、先ほど出くわしたあの連中がいるではないか。しかも、ぞろぞろと練り歩く集団はさっきよりも大きく、さらに混沌として猥雑なエネルギーを発散しているのだった。なんと、トイレの便座のようなものを首からかけている人もいる。それに、大きな茶色い代物を掲げている人、紙オムツ姿の男も。
ピエロたちの何人かがモップとバケツで掃除をする仕草をしはじめた。よく見ると「リオはストリート」というプラカードを掲げた人もいる。リオの顔は「街」、だから、街路をきれいにしなくちゃ、とでもいうのだろう。そして、「リオよ、なんだこのクソは?」「クソったれは皆おなじ」えっ?!とびっくりするようなプラカードも… 古い石畳が続くリオの路地には、犬のフンも少なくない。確かに気をつけて歩かないと本当にフン害にあう。
ただ、ここは由緒ある「宮殿」前なのだ。ポルトガル植民地時代は連合王国議事堂だった、その跡地に建てられたギリシャ神殿のような建物。独立運動の先駆者、英雄チラデンチスの名前が冠され、リオが首都だった1960年までは国会議事堂として、それ以降はリオ州議事堂として使われてきた(2021年州議会の移転により、今後はデモクラシー博物館となるらしい)。目の前で繰り広げられるこの“祝祭的”パフォーマンスに唖然とする。けれども、それと同時に、どこか愉快になる自分がいたりもして。そして、シャッターを切りながら感じている。ああ、ここはブラジル…
ピエロご一行のフェスがクライマックスを迎えると、彼らは宮殿入口につづく階段に陣取って、記念撮影をはじめた。参加者が勢揃い。関係者たちがカメラを構える。すると、白く長く尾を引くものが、空中の四方に飛び交った。いっせいに上がる歓声。まるで舞台の投げテープのように、乱舞するのは、なんとトイレットペーパーだった…
*後編 その2へつづく「ピエロがつむぐ“ユーモア”と“人間”〜 その2 AIと学ぶ人と大地のつながり」