リオの街で出あったちょっとした“Amor(love)” 

 明るい日差しがふり注ぐ通り。波音を聴きながら、イパネマからコパカバーナへとつづくビーチ沿いを歩いていると、ピンクのプラカードを掲げる女子がいた。「アブラッソス・グラッティスAbraço Gratis」。つまりフリー・ハグ。このフリー・ハグのムーヴメントは2000年代、世界中に広まっていったらしい。リオの開放感あるストリートで、こういう出会があると、より一層ハッピーな気分に。

 あらためて考えてみると、ハグというシンプルな行為は奥が深い。互いに心を開いて体温を感じ、その一時を共有、そして“愛”のエネルギーを分かち合う。文化のちがいがあるとはいえ、身体の接触が少ない社会にいると、使わないのが“もったいない”感じもする。

 下町を歩いていると、窓辺に視線を投げかける姿がちらほら…  “namoradeira(ナモラデイラ/恋する女性)”と呼ばれる女性の人形の置物の民芸品だった。その由来は、かつて、男性が窓辺の女性に求愛のジェスチャーをしたのだとか、女性はそれを待っていたり窓から街のようすを眺めたりしていたからとか…。いろいろな顔かたちのものがあって、帽子姿のものもある。どれも、どこか物思いにふけるポーズ。ちょっと遠くを見つめる感じもあったりして。置物を飾る住人のはからいにも心をくすぐられてしまう。

 街角でTシャツが並ぶ露店のかたすみに、とあるものに目がとまった。人物のイラストとテキスト。なんだか宝物を見つけたような気分。

 それは「愛なくして教育は語れない」という言葉とパウロ・フレイレの横顔。ブラジルを、いや、世界を代表する教育学者であり思想家。エンパワーメントという言葉や概念もフレイレから生まれた。一人ひとりの能力を引き出し、生きる力を湧き出させる。それを可能にする公平な社会の実現を目指す。代表的著作『被抑圧者の教育学』などには、ものごとを批判的に読む、矛盾を認識する、課題提起教育などが提唱されている。行動心理に影響を及ぼす情報操作、組織や家庭内暴力など、時代が変わっても、というか、AIの時代にこそ、役立つ言葉が並んでいる。その根っこにあるのが“愛”か…

 

 フリー・ハグに、窓辺の人形に、Tシャツの言葉。リオの街を歩きながら、ちまたに溶け込んでいた “amor(love)”をちょっとずつ分けてもらった感じ。ドロボーなどに気を使いながらも、世の中まんざらではないなあと思わされたのだった。

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