撮影余話 〜 写せなかった”ワンダー”

 これまで、逃したシャッターチャンスは数えきれない。ああ、いい! そう思ったそのときに肝心の機材がない。そのイメージにぴったりくるレンズや、三脚だったりストロボだったり、そもそものカメラが手元にないなんてことも。そんなときはイメージでシャッターを切りながら、写せなかった心残りがわだかまる。機材がありながら、体が動かなかった、なんて情けないこともあった。

小説「失われた世界」の舞台になったといわれるギアナ高地、ロライマ山に登り、下山してくるときのこと。彼方にテーブルマウンテンをのぞむ夕暮れ時、雨が降りしきる眼下の原野に、無数の光が満ちていた。地に浮かぶ光は点のようでいて、空に飛び交い、光の線を放つかのよう。雄大な地に蛍が乱舞していたのだった。これを写したい。けれど、アクシデントにトラブルが重なり、極度の空腹と寒さに襲われる中、全身ずぶ濡れに虫刺され、それをさらに繰り返す気力は果てていた。テントに入り、目に焼き付けた大地と蛍の光景を反芻するばかり。何十年経っても、あの光景が蘇る。二度とない、あの時、あの場所のあの世界…

 かつて、<緑の光線>というフランス映画を見たことがあった。内容はうろ覚えだが、なんだかさえない女子が、なんとなく明るい兆しを見つけていく、というストーリーだった。沈む夕陽が緑色になる時があり、それを見ると願いが叶うとか幸せになれるとかいう言い伝えがある。それを知った主人公が、偶然、ある青年と出会い、一緒に夕陽を見ることに。そして、最後の場面で、夕陽が緑の光を放つ…… それから、かなりの年月が経ったあるときのこと。たいした期待もなく、大西洋上で夕陽を眺めていた。すると、太陽が水平線に沈む瞬間、緑の光線が水平に走り、輝いたのだった。ほんの一瞬のことだった。

 これは「グリーンフラッシュ」「緑閃光」として知られている現象だという。プリズム効果によって、太陽が地平線や水平線に沈む直前または上った直後に、緑色の光が、一瞬、輝いたように見えることがある。まれなことではあるので、出あったらラッキーなことにはちがいない。その、まさかというときだったのに、備えもなく、ただ、目を奪われていたのだった。

 捉えきれなかったシーンの最多は人の表情かもしれない。わぁ! いい! そう思ってもそれを逃すと、まったく同じようなシーンにならなかったりする。笑顔だけがいいというわけでもない。光や風など、すべてがシンクロする一瞬。何かしら心動かされる一瞬。たとえ捉えきれなかったとしても、その一瞬に出会えることは、やっぱり素敵なことではある。

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