“シチズンシップ”寸景 〜 リオのデモやスラムでのプロジェクトから

デモにみる市民のパワー 

 バッバッバッバッ…… 夜空に爆音を響かせて、ヘリが飛んでいる。パーン! つづいて起伏の多いリオの下町にこだまする乾いた音。「今夜は外に出ない方がいい」宿主が言った。デモをする人たちと軍警察との間でひと騒動ありそうだという。

中流層の多いエリアでのデモ

 2013年のことだった。前の年、バス運賃の値上げに端を発したデモが勢いを増し、複数の都市に拡大していた。肥大化する汚職や賄賂にまみれた政治。ワールドカップやオリンピックなどに投入される莫大な公金のどれほどかがどこかに消えてゆく。日々の暮らしの中で不条理を強いられている人々がついに声をあげる。その連帯の波は、かつてないほどに高まっていた。

*(写真)もっと教育や健康に公費を使って!とアピール人、デモ参加者に飲み物を売る人も

 「もう、戦争みたいだった」デモから帰ってきた宿主が言った。催涙弾が投下され、参加していた人たちは散り散りに。逃げまどい、煙にまみれて通りに出ると、装甲車が人々を蹴散らすようにゴム弾を乱射していたというのだった。それでも、宿主はこれからも参加するという。受け入れられない法案がある上に、「そもそもデモは法律で認められている権利なんだから」ときっぱり。

*(写真)街路をゆくデモに、窓から多くの人たちが声援を送っていた

 ソーシャルメディアはいまほど行き渡っていなかったものの、人々はいち早く使いこなし、情報の共有を加速させていた。「デモに参加する必需品はお酢とスカーフ」という催涙ガス対策や、次のデモのスケジュールなどもすぐに広まっていた。デモには幅広い世代が参加して、リスクをものともせずに意思表示する。そしてネットワークの活用と連帯。その広がりは急速でパワフルだった。日本で感じたことがなかったような市民の力と社会のうねり。行動する人々のエネルギーに鳥肌が立つ思いがした。2013年の一連のブラジルの市民運動は当時の政府や議会に政策を改変させることになり、歴史に刻まれることになった。

スラムで行われていた「シチズンシップ 」活動 

 2013年〜2015年、リオのスラム10数カ所を訪れた。主宰している写真プロジェクトをスラムの子どもたちと行うためだった。現地の協力先をあたっていると、縁あって民間団体を紹介され、協力が得られた。リオの多くの民間企業が加盟する産業団体Firjanの傘下にある、非営利の「シチズンシップ」部門。Firjan自体は、地域の産業振興や経済発展に貢献するべく変革をかかげ、教育施設を作り、職業訓練や技術養成の事業を推し進めていた。さらに労働者の質や生活を向上させて労働市場を活性化するため、スタートさせていたのが、この「シチズンシップ」部門。一人ひとりが社会の一員であるという意識を持ち、市民として役割を果たせるようにと。技術訓練から教育にスポーツや文化活動まで、大人から子どもまでに幅広い機会を無料で提供。対象にはスラム地区も含まれ、その活動は目を見張るものがあった。

 軍警察の治安維持部隊が常駐して治安が安定しているスラムの一部に限られてはいたが、文化施設のエアコンがきいた部屋にはパソコンが並び、子どもたちがキーボードを打っていた。児童図書に囲まれた机で、色とりどりの絵本をめくる子や、読み聞かせを聞く幼子たち。シチズンシップを育むという展開がスラムにまで及んでいることに感動すら覚えた。かつて90年代には、街角のカフェにいると裸足の子どもがやってきて、「パン買うお金ちょうだい」とぼそぼそ言われたものだった。そういう姿もいつしか見かけなくなっていたが、変化は飛躍的に思われた。

 きわめつけは2015年、リオで開催された大規模展の展開だった。一緒にワークショップをした、スラムの子どもたちが写した写真が飾られた“Conexões de Olhares”展(まなざしのつながり)。折しもリオ市制450年に重なり、シチズンシップ部門が主体となって開催。会期は2ヶ月、会場は由緒ある共和国博物館の庭園。亜熱帯の樹々、噴水や彫刻、広い池をめぐる遊歩道があり、その道なりに点在するように大型キューブが特別に設置された。その立体フレームに、一辺が2メートルを超えるサイズに、スラムの子どもたちの作品が並んだ。

 スラムとビル群が対象的な街並み、廃車のある空き地、ブタがゴミをあさるカットもあれば、露天商のフルーツの彩が目を引くものもある。都市の光と影を象徴するような作品と、なにげない日々の一瞬が並ぶ。タコ揚げをする男性、ネールショップでポーズをとる女性、電柱高くに作業する人、クーラーボックスを抱えて水を売る男の子…… 子どもが向けるレンズに返される笑顔が市民の顔として語られる。そして、作品の一つひとつには、リオの詩人による言葉がそえられ味わいを深めていた。

 スラムから子どもたちの一行が展示を見にやって来ると、子どもも付き添いの大人も歓声をあげた。自分たちの写真に誰それが写した自分たちの街。作品が大々的に披露されて誇らしげな子どもたちの表情が心に残った。

 その後、景気後退に経済の悪化などから、残念なことに、このシチズンシップ部門は大幅に削減された。さらに、政治の混乱や新型コロナ感染症の影響もつづいた。けれども、ブラジルは今年、新しい大統領のもとグローバル・サウスの一つとして注目度が増しているかのよう。きっと、またあらたな変化があるのではないか。それを支える根っこには、日本の私たちが学ぶべき “シチズンシップ”なるものがあるようにも思えてならない。

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