『アマゾンの呪術師』が電子本で復刊された。
『アマゾンの呪術師』地湧社
パブロ・アマリンゴ/語り 永武ひかる/構成・訳
ペルーアマゾンの元シャーマンの画家パブロ・アマリンゴが語る、神秘に満ちた植物と精霊、呪術師の世界、脳と心とは、人生とは…
呪術師をやめて画家となったパブロ・アマリンゴ。そして、アマゾンを調査研究していたコロンビア人の文化人類学者ルイス・エドゥアルド・ルナと出会う。ルナはパブロが描いた呪術世界の絵を見て驚き、もっと絵を描くことをすすめる。パブロの絵は、薬理学者デニス・マッケナなど欧米の専門家らの関心も呼ぶ。なお、ルナによる詳細な解説とパブロによる絵画作品の共著Ayahuasca Visionsが北米で出版されている。
その一方、パブロは自宅で、近くの子どもたちを集めて絵を教えていた。それを1988年、ルナとともに、「ウスコアヤール」(ケチュア語で精霊の王子)と称してペルーアマゾン絵画学校を立ち上げる。といっても、たったひと部屋の教室で、先生陣も奉仕の活動。そもそも学校があるプカルパは、ペルーきっての木材産業で発達してきたため、町の近辺にはすでに原生林はなく、アマゾンにいながら身のまわりの自然のことを知らない子どもたちも増えていた。絵画学校は、美術によって自然を大切に思う気持ちを高めよう、という一つの環境教育の場でもあった。子どもを中心に若者から大人まで、密林の大自然を繊細に色鮮やかに描きながら、アマゾンの自然、民話や薬草などの伝統文化を学ぶ。この教育活動を通して、パブロはブラジルで地球サミットが開かれた1992年、国連グローバル500賞(環境に貢献した人に贈られる)で表彰された。
パブロは絵を教えるだけでなく、ときに生徒たちを前に、努力すること、誠実であること、慈しみなど、人として大切なことを語っていた。90年代、学校のある地域、そして国自体も、まだ社会は混乱していた。早くから家庭を支えるために働かなければならない生徒たちも多く、働き口といっても奥地の開発の労働だったり、まっとうな賃金を払ってもらえなかったり、ならずものの大人の世界に紛れ込んでしまう可能性もあった。
自ら質素な暮らしをしながら、パブロはそんな家庭に恵まれない子どもたちの親代わりのようになって、何かと面倒を見ていた。道徳のように説いていたことを、子どもたちに自ら行動で示していた…… そんなパブロは「ドン・パブロ」と敬称で呼ばれ、生徒たちに慕われていた。
2009年、パブロさんは旅立った。時を経て、問いを重ねて見たいこともたくさんあった。あれこれ追われていたとはいえ、まったくなにぼやぼやしていたのだろう。パブロさんのありし日の写真など整理しながら、90年代に来日したときのことなど、また折にふれて記していきたいと思う。
*パブロ・アマリンゴの概略については こちら
*電子書籍での復刊によせて
「その1:パブロ・アマリンゴとの出会い」
「その2:パブロ・アマリンゴが語る呪術世界から」
「その3:パブロ・アマリンゴの語りから」
「その4:パブロ・アマリンゴ、人生の語りから」
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