「和敬清寂」なぞからの備忘録と写真

「それはちがいます」。茶道教室の一間に大先生のきびしい声が響いた。
和敬清寂の本意はなんですか? 茶道の心得でもあるその問いに、生徒たちが答えていく。「和」と「敬」は、和みに敬い。文字通りに、peaceにrespectをつくす心。大先生はそれをよしとした。つづいて、「清」と「寂」は、清浄とわびさび… ところが、大先生はその答えをピシャリと却下。そして、家に帰ってから調べてみなさい、と言われた。

当時、それなりに調べてみても、「清」と「寂」について、あらたな解に行き当たらなかった。大先生は80代半ば。課題は出されたまま時が過ぎた。仕事や転居とともに手習いの教室からも遠のいた。

それからウン十年が経った先日、たまたま目にした番組で、かつての答えらしきものを知った。裏千家元家元が、100歳にして、かくしゃくとしたとした語り口で説いていたのだった。

「清」は省みるということ。朝昼晩の計、その計がどうだったかというふりかえり。そして、「寂」は不動の信念だという。あらたな解釈が新鮮にひびいた。調べてみると、寂とは穏やかで調和のとれた静けさとか、何事にも動じない寂然不動なる説明もあった。

けれども、すんなり腑に落ちたわけではなかった。日本文化を表わすセンス・オブ・ワンダーの一つのように受けとめていたもの。日本の美意識のようなわびさび。「寂」という言葉に、それまでの思い込みから抜けきれないものがあった。

それが、番組の後編になって飲み込めた。それは元家元のヒストリーをたどったからだった。太平洋戦争のただなか、学徒出陣で配属されたのは特攻隊。壮絶な経験に、仲間のほとんどが命を落としたことなどなど。その語りから、「寂」の意味が妙に腹落ちした。ご本人自らが語った戦時中の体験、その言葉ひとつひとつの重みが心にしみた。生死を分ける際に立った人の覚悟のようなものを含みもつ… 語りそのものから伝わってくる力もあった。文字だけで解釈を読んでいたら、受けとるものがちがっていたかもしれない。

番組では、当時のモノクロ写真が映し出された。元家元が特攻隊の仲間たちと一緒に写った一枚。清々しい笑顔の青年たちの姿。話を聞かなかったら、それが戦時下の特攻隊の面々とは思えないくらい、表情は明るく輝いてみえた。そして、昨年鑑賞した映画のワンシーンがシンクロして蘇ってきた。「鉛筆と銃 長倉洋海の眸」で写真家が写したアフガニスタンの戦士たちの姿。彼らの命の輝きがまぶしく、いとおしく、心引き寄せられるようなカット。それが、永遠のときが流れるかのように映し出されていた。存在はすべて儚い。だからこそ、一瞬の輝きが尊い。一期一会の写真の魅力をあらためて思わされた。

その一方、ふと未来の写真を思う。かつてのプリントはモノ自体から時を経たことが伝わってきた。いまはデジタルデータが日常だ。100年後、データの写真はどうなっているだろう。写真を1枚と数えていないかもしれない。実写とフェイクの識別はどうなるのか。平面より立体的なものへ、ホログラフィックとかVRやARとかが“ふつう”になるのだろうか。それとも、あらたなわくわくするような表現や技術が生まれているかも。それによって人の感性や感情は変わるのだろうか… なんにしても、それは平穏無事の世があってのこと。「和」「敬」が変わらずに大切にされていることを願わずにいられない。

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